1972年 天草生まれ。
1991年 唐津「隆太窯」で陶芸の修行を始める。中里隆氏に師事。
1995年 天草「丸尾焼」で修行。
2002年 天草本町に「朝虹窯」として工房と窯を築く。
「形」だけでなく「焼き」も、楽しみながら試行錯誤を重ねているんですが、最近は“二度焼き”の手法も取り入れています。
1回目にカリカリの質感に焼き上げた後、2回目に温度の低い窯で長時間焼いて、ふわっとしたマットな質感に仕上げるんです。実際、2度焼きすると、質感も色合いもがらりと変わるので、器の持つ雰囲気はまったく別物になります。
最初からふわっとした焼き上がりにすることもできますが、そういう器は生地が焼き締まっていないから脆いんですよ。
1回だけ焼いたカリカリ質感が雰囲気よく仕上がっていればそれでいいし、逆に、温度を変えて2回焼いても満足できなかったら、また温度の高い窯に入れて焼き直す、ということもあります。釉薬をかけ直したり……工夫をこらして、何度でも。ただ焼き上がっているからそれで完成、じゃないと思うんですよね。
一度焼いた器に釉薬をかけて再度焼くなんて、一般的にはタブーだと思われているかもしれないし、実際、信じてくれない人もいますよ(笑)。でも、良くなるまで、納得できるものになるまで、何度でも“焼き”にトライし続けたいんです。
だって、人前に変なものは出したくないですから。試行錯誤しながら、常に“新しい器”を目指していたいですね。
昔の人は、灰と身近にある色つき石などを混ぜて釉薬をつくっていたんです。
その歴史が人の体に刻み込まれているんでしょうか。自分の中にも、灰と色水を混ぜたら飴釉になるとか、灰と白い石を混ぜたら透明な釉薬になるとか、先天的な感覚があるような気がします。だから僕も面白い色の石を見つけたら持ち帰って、こすって焼いてみたりすることも。
実際、海で拾った石を顔料にした作品も個展に出品しているので、どれだか当ててみてくださいね(笑)。「形」にしろ「焼き」にしろ、何より大切にしているのは自分の感性、なんです。心の向くまま、自然に任せるというか。自然に逆らわずにやっていたら、自然ってけっこう味方してくれるんですよね。
窯の中も火を入れてしまえば、こちらは何もすることができない。感性を信じて、自然の力に任せて、生まれてくる器を楽しみに待つ。それも立派な“遊び”なんじゃないでしょうか。
神楽坂の帝で、北海道・旭川の陶芸家である工藤和彦さんとの出会い。
お互いに名前とお顔を知っていて、偶然にもとある雑誌の記事で、北の工藤さん、西の余宮さんという特集で、「誌面上での出会い」はあったものの、実際にお会いするのは初めて。
グループ展ではなく、こういう出会いに立ち会えるのは、ギャラリーの何よりの楽しみです。
(写真一番右後ろは神楽坂のギャラリー&カフェ『帝』のスタッフ。)
余宮さんの器、大好きです。
Shintaro.mediaより
東京は神楽坂、京都は祇園花見小路のそれぞれの個展を振り返り、たくさんの発見があったと、余宮さんはおっしゃいます。
いろんな遊びに挑戦して、そしてまた次回の作品づくりに採り入れていく。お客さまが喜んでくださることについて常に敏感に感じながら、ご自身がやってみたい焼きの具合や形づくりを楽しむ…次回もぜひ、楽しみになさってください。