1963年 京都五条坂の陶器商に生まれる
1983年 京都府立陶工訓練校成形科卒業
1984年 人間国宝 清水卯一氏の指導を受け、喜兵衛窯開窯
1985年 日本工芸会近畿支部展初入選(2004近畿賞 他4回受賞)
1986年 日本伝統工芸展初入選
1994年 日本工芸会 正会員に認定
2007年 登窯を築窯
世の中には高級な器ってたくさんあります。でもそれは商品であって、僕らの作る物はちょっと違うんです。
その人の個性が出てる、その人以外では絶対作れない、その雰囲気やテイストが出せないっていう、それが僕らの仕事だと信じてます。例えば個展の会場で、たまたま器をご覧になり、気に入って買ってくださったとします。僕がご挨拶に出て、「猪飼祐一」という作り手に好印象を持ってもらったとすると、その器はより良く感じていただけると思うんです。
逆に、僕のことを見て関西弁の変わった人やと思われたら、せっかく買ったけどやっぱり使うの辞めようかな、となる場合もあるかもしれません(笑)。
直接会って話して、「素敵な人だな」「感じのいい人だな」と思ってもらったら素敵でしょうし、おうちで食器棚を見て、「どれにしようかな、あ、これこないだの猪飼さんのやつや。使いやすかったな」となると、また使っていただける。
よく使う器は食器棚の常に一番上にくるから、より使ってもらえるようになる。
いろんな食器が並んでいる中に、ぽっとひとつそれがあるだけで、食卓がすごく明るくて賑やかになる…。それは買われた奥さんにしか感じないことかもしれないですけど、その器で食べてる子どもさんもご主人も、なんとなくそれを見て育つことが生まれ育ちの品みたいなことにもつながっていくんやと思うんですよね。
ぜんぜん知らない家にご飯を招かれた時に、うちの器と全然違うというのは、なんとなく誰でもわかると思うんですよ。「わ、ここ、うちの器よりみんな高そうやな」とか。でも料理はうちのお母さんの方がおいしいわとかね。そうやって料理のことを見る時には、器も一緒に見ることができる感性って、たとえ専門知識がなくてもすごく大切なことやと思います。
実際に作っている時は何を考えてるのは記憶にないんですけど、作る前にはね、必ず僕の頭の中で人と出会うんです。
「この間、あのお店で隣の人が使(つこ)てたぐい飲みよかったなぁ。あの人の手にすっぽりおさまってたなぁ」ってその人のことを考えてたり、「あの女性は色っぽかったな〜。艶っていうんかなぁ。あの持ち方、そうそう、ああいう持ち方もあるんや。あんな女性が持ちやすいぐい飲み作ってみよ」とかあるんですよ。
色とか形だけじゃなくて。だからね、人が見えて、ある程度イメージしてから作ります。
「あのお店のカウンターに、これぐらいのサイズの器があったら格好いいやろな…」とかね。そのお店で使(つこ)てほしいなとかなりますもん。実際に、そういうのを思いながら作ってて、その方がお越しになられて、ということもありますからね。料理人の方がぐい飲み買われる時、その選び方ってあるじゃないですか。あぁそれをお選びになったんやとか、ぴたっと来たなとか。あるいはこんなん選んで、いつもと違うなぁ、意外やなぁ、とか思うこともあります。
で、「今回はいつもと違いますよね」と言うと、「いや、こういうぐい飲み、うちにないんですよ」と言われて。あ、そういうことならお店全体としてぴったりきてますよね。「お客さんもいろいろ好みがあってね」とか聞くと、“おぉ!なんかぴったしや”と思いますよ。
僕は京都・清水にある「壺屋喜兵衛(つぼやきへい)」という器屋の主人でもあるんですが、この初代・喜兵衛という人が江戸末期にいて焼き物の職人やったんです。で、2代目から焼き物を売る方に変わりました。僕が商売で継いでいれば6代目になるんですが、作り手である初代・喜兵衛から数えると7代目になります。
僕の父親は商売人やったんですよ。高校を出るまでは好きなことしてましたからね、バブルでしたし。いずれ商売を継ぐんやとは漠然と思ってましたけど、まさか自分が作り手になるとは、です。もともと産まれた時から日常的に、家(お店)にいい器があるという環境も、作る決心をしてから考えるとよかったですよね。子どもの頃に自然に身体に馴染んだものは、大人になってからだとなかなか入らないですよ。
僕は京都という場所で育ちました。場所でもちろん良さがありますが、陶器の仕事をするということでは、町中で育ってきて良かったと思ってます。まぁ京都の中でもいろんな方がおられるじゃないですか。私の家はたまたま商売人でした。この世界に入ってからですけど、人間国宝の息子さんだとか、お孫さんとかそういう方達とお会いしますよね。すると全然違いますよね。向こうは芸術ということで育ってこられていますし、僕らはどこまでいっても商売人、商売人あがりみたいなところが染み付いていますよね。
なんかね、うちが商売人の家系で、父親が代々商売してたこと、最初はなんでうちの父親が陶芸家とちごたんや!とも思いましたけど(笑)。もちろん最近はありがたいと思ってるくらいです。今となっては僕は商売人出の陶芸家なんだから、それを武器にすればいいんですから。ね?
Shintaro.mediaより
猪飼祐一さんは、京都らしい、まったりした口調で、お話の間も抜群。聞いてるこちらがどんどん気持ちよくなってたくさん話を伺いたくなります。そしてさすが関西人、面白いんです。だからいつもお会いするときはついつい長居をしてしまって。
作り手としては7代目、商売で継いでいれば6代目。陶工訓練校を出て、たまたまある方のお導きで人間国宝 故・清水卯一さんに弟子入りをお願いに行かれた時の話は、その家業のことにつながるとても興味深い内容でした。清水卯一さんが「弟子入りする必要なんかない。立派なお師匠さんが家にいてはるやないか」と言った、猪飼祐一さんという人物の背中にあるもの。そこから猪飼さんの手を通して生み出された灰釉の器が、私たちのと出会いです。
自然の灰を活かしたなんともいえない上品さ、じっと見ていたくなる貫入の具合。小さな灰釉の小皿にお漬け物をのせた時、一口食べるごとに減っていくお漬け物の代わりに、その隙間から広がる釉薬の塩梅が大好きです。
まだまだご紹介したいお話がたくさんありますので、また次回に…。