1975年 鹿児島県霧島山麓栗野町(現湧水町)に生まれる。
1999年 橋梁設計の仕事に携わった後、古陶に心を惹かれ、焼き物の道へ入る。
2002年 唐津焼工房・雷山房として独立。
2008年 工房を移し、山居窯を築窯。
若い頃から不思議と「古いもの」に惹かれることが多かったんです。18歳頃に初めてのヨーロッパ旅行で、蚤の市でアンティークの時計を買ったこともありましたね。それほど高くないものでしたが、文字の配列や秒針のデザインなど、細かな部分への作り手のこだわりが気に入って。
学校を卒業してから橋梁設計の仕事に就きましたが、やはり古いものの持つ美しさを追求したいという思いから古陶に強く心を惹かれるようになり、24歳のときに焼き物の道に入りました。
古いものって“朽ち果てていく美しさ”があると思うんです。使っていくうちに無駄なものがそぎ落とされて、内面の美しさが浮き彫りになるというか……。それって茶の湯文化の「寂び」の考え方に通じるものがあると思うんですよね。朽ちる間際のところに、美しさが宿る。そうした考えは僕の作風にも影響を与えていると思います。というのも、僕は器をピカピカに硬く焼きしめることはしないんです。あえてギリギリのところまでしか焼かないんですね。そうすることで土の持つ柔らかさが生きる、いい器になる。
作り手としてはギリギリのところまでしか焼かない、というのは緊張の連続ですけど(笑)、そうすることで研ぎ澄まされた美しさが表現できるのではないかと思っているんです。
本質的な美しさを追求するためにも、僕自身、あまりテクニックに走りたくないと思っています。心がけているのは、シンプルに、土の持つ柔らかさを器で表現していくことだけ。だから、表現は適切ではないかもしれませんが、ろくろもできるだけ上手にならないようにしているんです。
上手になってしまうと“職人”になってしまって、自分で感動しなくなるような気がして。あえて難しい土を使ったりすると、一生懸命やらざるを得なくなって、作品に味が出てくるんです。結局のところ、“本質的な美しさ”を持つ器っていうのは、作家がどう考えて作ったのかというのがきちんと使い手に伝わるかどうかだと思うんです。そして器に込められた作家の思いというのは、作家自身が楽しんでいるかどうか、好きでやっているかどうか、というところに行き着くのではないでしょうか。
将来は、茶室でお客様とじっくり向き合う時間を作りたいなぁと思っています。で、お客様一人ひとりとの対話の中からどういう器がいいかを考えて、奥からぴったりの器をお出ししておもてなしする、というスタイル。
そうすることで器の使い方も提案させていただけるし、互いに豊かな時間を共有できるんじゃないかと思うんです。