1976年 奈良県生まれ。
1994年 父・辻村史朗に師事。
2000年 奈良県桜井市に築窯、独立。
前にも話しましたが、焼き物を作る事は、僕にとっては特別な仕事だとは思っていません。扱うものがたまたま焼き物だっただけで、スタンスは他の仕事とあまり変わらないんじゃないでしょうか。
毎日「いいものになればいいな」と思いながら、試行錯誤する。その繰り返しです。
言葉にしづらいですけど、自分の中にあるものを、どうにか形にできないかとトライし続けている、といった感じでしょうか。
もちろん、焼き物が大好きでそれを仕事にできているというのは、とてもありがたいことです。
焼き物が好きなのは、やはり作陶家である父・辻村史朗のもとで生まれ育ったことが大きく影響していると思います。物心ついた頃から、父の作ったものに囲まれ、使う生活をしてきました。
その事で焼き物への考え方や作り方、何よりモノを見る目が自然と育まれていたんじゃないかな…と。そういった環境が僕のベースになっていると思います。
世の中にはいろいろな焼き物があって、いろんな人の価値観があると思います。でも僕が思うのは、そこにあるものに対して自分が「ほんまにいい」と思うかどうか、だけです。誰がつくってるとか、どこの土を使ってるとか、どのような窯で焼かれてるとか、そういうことはどうでもいい。
他の人の意見はあまり関係ありません。目の前にある焼き物を見て、「欲しい」と思えるものだったら、その人にとって価値のあるものだということだと思うんです。
それでもし僕の作品を選び、楽しんでもらえたら…と言いつつ、たくさん売れたら、やっぱり嬉しいです(笑)。
Shintaro.mediaより
塊さんに、「それぞれの器のご説明、何かないですかね?焼き方とか以外に、形のこだわりとか?」という質問をしたことがあります。
答えは記事にもあるように、「特別なことはほんまにないんです」と。
ではなぜそれぞれの形になったのか?ということについては、選び手である私たちが感じるしかありません。もちろんそれも私たちが審美眼や好みをしっかり持つという意味では大切です。
しかし、これから器に触れていきたいという方々には、なかなか伝えることが難しいな、と。しかし、塊さんの工房で、ずらっと並んだ器を見ながら話をしていると、「形のこだわり」があることをひしひしと感じます。
それは、「こうすればもっと美しくなるんじゃないかな」「できあがってみたら、底の形が気に入らなかったから、これは個展には出していないんです」とか、「よく焼けたこの感じとかどうですか?」とか。
塊さんの中にある〝美しいもの〟〝自分が納得できるもの〟こそが、最大のこだわりであるということ。
つまり、ご本人の言葉でもあったように、ご両親の多大な影響や、日本の野山の中で暮らす中で培われた自然への美しさを感じる感覚こそが、言葉に表れてこないこだわりなんだということではないでしょうか。