2000年 有田を訪れたことをきっかけにOLを辞め、本格的に作陶の世界へ。
佐藤走波氏のもとで修行。
2006年 淡路島で築窯、独立。
もともとOLをしていたんですが、「いつかは好きなことを生業にしたい」という思いが漠然とありました。
私、昔から陶芸が好きで、陶芸の市民講座にも通っていたんです。そういう初心者向けの陶芸教室で使う土って“土物”が多いので、ろくろで分厚めに仕上げて、そのゴツゴツした仕上がりが味わい深い作品になるんですよね。でもある時、薄い磁器もろくろで作れるということを知って。こんな精緻なものを機械じゃなくて手で作れるなんて、信じられない!と衝撃を受けて、それからろくろに没頭し始めました。
OLを辞めて作陶の道に入ったのは、有田にいる知り合いを訪ねたのがきっかけです。たまたま陶器市の次の日だったんですけど、古い町並みの間に窯の煙突がにょっと立ってて、その間を静かに川が流れていて、周りは山々に囲まれていて。その町の雰囲気に背中を押されるような感じで、「ここでやるしかない!」って一念発起したんです。28歳のときのことでした。
それから30歳までは有田窯業大学で学び、佐藤走波先生に弟子入り。5年間ろくろ場で修行を積み、土とろくろのことをしっかりと学びました。独立後、どこに築窯するかはいろいろ考えたのですが、ご縁に恵まれて淡路島に。古い時代、朝廷のあった奈良に九州の文化が伝わるルートになっていた淡路島では、いろいろな学問が盛んだったそうで、そういうルーツにも興味があって。
振り返ると30歳で入社という形で弟子入りして、36歳で独立。何よりもの作りが好きだからこそ、とにかく一生懸命にやっていると不思議といいご縁に恵まれて、たくさんの人に助けていただいてばかりです。
独立してすぐは、有田で長年やってきたろくろで器を作ることを考えていたんです。でも本当に私が器で見せたかったものは、自然界の草花が表現しているような陰影の美しさ。……つまり、ろくろでは表現できない形だったんです。
そこで取り入れた手法が、「掻き落とし」という手法でした。ろくろで作った素地に呉須という彩料をかけて、その状態で引っ掻くことで素地の白色が出てきて柄になるというものです。
そうした方法で器をつくるうち、型をつけるときに土を掘るのが楽しくなってきて。そうして今の手法である 「型打ち」という手法にたどり着いたんです。型打ちでつくる器は、土を削るときに出てくるガサガサとした表情がとてもいいんです。実際は釉薬を上からかけるので手触りはガサガサしていないんですけどね。土の表情を楽しんだり、花びらの陰影を彫り方の深浅で表現してみたり、最近ますます表現することが面白くなってきました。
私の原動力になっているのは、何より「もの作りが好き」という気持ち。だからこそ数をたくさん作るのではなく、一つひとつの作品を丁寧に、楽しみながらつくれたらいいな、と思っています。
右の写真)左の型方から右のお皿が生まれます。
左の写真)型を作るのも斉藤さんの楽しみのひとつ。「自然の中にあるような陰影の雰囲気を、手仕事で作り出せたらいいなぁ」、と
右の写真)幸代の「幸」から、印を四葉のクローバーに。お名前をローマ字にした時の頭文字「sa」の組み合わせでもあるんですって。
Shintaro.mediaより
斉藤さんの器との出会いは、東京の百貨店で行われていた「手しごと展」という催事です。
焼き物に限らず、木工や布など、たくさんの作家さんが集まっていたのですが、豆皿好きの我々の代表は、斉藤さんのブースにひと目惚れ。大きさ、形、薄さ、そして細かいデザインに加えて、釉薬が儚い感じにかかっていて、可愛い、というよりも綺麗!というのが第一印象でした。そのあと、四国の徳島に行くことがあり、それならと足を伸ばして斉藤さんの工房に伺ったのが、本当の初対面です。
もともとは京都に工房を探しておられたとのことですが、良い物件もなかなか見当たらず、少しずつ南へ範囲を拡大する中で、「淡路島でも」と探し始めてすぐに見つかった旧家が斉藤さんの自宅兼工房です。
そこでひっそり?こっそり?と生み出される器は、たくさん一度に見ればみるほど、本当に淡路島の山林や野原のような景色です。あまり量が作れないそうです。
価格は1,500円からと手頃ですが、その仕事の丁寧さと「よい感じ」は、きっとお楽しみいただけると思います。さいとう