京都外国語大学フランス語学科卒業
大学在学中より、モデルとしてCMやショーに出演。
そのかたわら、松浦竹夫氏(舞台演出家)のもとで
演技などを学ぶ。
野上 裕章さんは文学作品をひとりで演じる〝ひとり語り〟というスタイルで、舞台を中心に活動されています。
4月に開催しました『天守物語』企画に合わせて、「かなざわ 紋」にて野上さんの代表作『泉鏡花 天守物語』を演じていただきました。
1つの作品に出てくる登場人物ひとりで語り分け、七色の声を持つ演者として知られます。
そんな野上さんに、ちょっと、いえ…かなり長めのインタビューをさせていただきました。興味を持っていただき、またお芝居を見ていただくきっかけになればと思います。
大学時代から事務所に所属をしてモデルをやっていました。一度就職はしたのですが、芸能関係の仕事は少しですが続けていたんです。
その間、事務所の社長がずっと気に掛けてくださってて、いずれ何か芸事をやっていくのであれば、滑舌にしろ、声量にしろ、ダンスや舞踊などの基本は身につけておかないといけないって。
で、そういう演出家で松浦 竹夫さんという人のところへ行って基本を勉強させていただいた。
役者になりたいという人は世の中にたくさんいて、周りを見ていても、やっていけるという人は本当に一握りですよね。そんな中でせっかくやっていくのだから、ご飯を食べてけるようになりたいという思いがあったんです。それで10年少し勤めた商社を退職して、あらためてこの道に入ったんです。
特に最初から鏡花に興味があった訳ではありません。僕がやっていることは芸術ではなく、芸事。何か特長がないとピックアップしてもらえないってことがあって、自分の心の中で貯めておける何かを探し始めました。
今はできなくても、5年後、10年後にできる作品ってないだろうかと思いながら、五木寛之さん、井上靖さんをはじめ、いろんな作品を読みました。
ある時、同じ金沢出身だし、泉鏡花を読んでみようとたまたま手にしたのが『天守物語』。
この作品は大正6年9月(1917年)の『新小説』というところで発表され、2017年でちょうど100年になります。
戯曲ですから、台本として書かれているんです。といっても文語体ですし、最初はちょっとはやっぱり挫折しました。けれども読み進んでいくと、その美しさに僕は魅了されていったのです。
鏡花の台詞というのは、音が“邦楽”です。七五調ですね。
だから普通の現代的な台詞ではなく、たとえば富姫が出てくるシーンでは「出迎えかい? ご苦労だねえ」、「露も散らさぬ お前たち 花の姿に 気の毒をしたねえ」っていうのがあるんですけど、こういう七五調の台詞っていうのは、短歌でも、和歌でも、俳句も同じで、ある一定のリズムで読んでいくと日本語としての音が綺麗に聞こえるんです。
そうすると、聞いてくださるお客様にも聞きやすく親切です。とはいえ『天守物語』は大変難しい作品ですし、当時は自分でやれるとは到底思わないし、やろうなんて怖くて考えられませんでした。
でも、いつか演じるとしたら「この天守物語の台詞を言ってみたい」…ってずっと思い続けていたんです。そういう意味で鏡花先生の作品というのは、僕にとってはただ単に「いまこれが演じることができるから」というのではありません。すごく迷って苦しんでいた時に出会った作品なんです。
その後もたくさん読みました。『夜叉ヶ池』『婦系図』『海神別荘』『外科室』…。
鏡花の作品は、幻想文学がよくピックアップさますが、実は鏡花の作品って恋愛小説の原点でもあるんです。『日本橋』や『婦系図』、『義血侠血』とか、そういう恋愛物もたくさん書いていますし、たくさん読みました。
でも僕が若い時って、不条理なものが理解できないところもあって、幻想小説の方に傾いていったんです。
2004年頃まではお客様に呼ばれる形で、いろいろ舞台や座敷にもに立っていました。
例えばラジオでは、10分とか、20分の中で何かをやってくださいというのもありましたね。具体的な演目ではなく、枠を預けていただくというご依頼です。
『天守物語』については、五代目の坂東玉三郎さんの舞台は拝見しましたし、新派でほかの役者さんがされているのも拝見しました。僕にはまだまだ到底手が出せないと思って、その間にいろんな作品を勉強させていただいていました。でもある時、ふと「これってできるかも」と思った瞬間があったんです。
今から思えば、鳥肌が立つくらいつなたいものでした。音源も残っているのですが、こんなのをお客様にお見せしたの?昔の僕?って感じです(笑)。
で、その僕のつたない初めての『天守物語』を、たまたま東京の舞台系の女性のプロデューサーがご覧になり、大きく流れが変わっていくんです。
僕の語りで感動してくださったそのプロデューサーがぜひ一緒にやろうということで、東京や関西でもやってくださることになった。
彼女はプロデューサーとしてスポンサーも見つけ、チケット販売もするので稽古に専念してほしい、と。「私の舞台を恥ずかしいものにしないでくれ」ってね。
実は舞台で一番大変なことはチケットを販売することなんですが、僕は稽古をして身体を持っていくだけです。いろんな注意はありましたし、プロの目で相当しごかれました。
そして2006年3月3日の金曜日に、東京・高輪で『天守物語』公演。僕の中では舞台演出も入った、本当の意味での初演です。僕のプロフィールにある初回というこは、この時のことなんです。『天守物語』はプロデューサーと僕をつないだ縁でもあり、そのおかげで今では東京、京都、大阪の舞台で演じさせていただいています。、僕の代表作と言えるものになったんです。同時に、今回「かなざわ 紋」のオーナーである慎太郎との出会いもそう。『天守物語』は僕の代表作になりつつあるし、これからも大切にやっていきたい作品です。
『天守物語』は「かなざわ 紋」でやったのが502、503回目。お稽古を含めたら3,000回以上やっています。
ここに来るまでは、僕が駆け出しの頃からのお客様がいてくださった。皆さまに励まされながら、一歩ずつ積み重ねてやってきたんです。
ある時、暫くぶりに僕のお芝居を観てくださった時に、「野上さん!こんなことを言ったら失礼だけど、上手くなったねぇ」って言われて(笑)。「ありがとうございます。あの頃は本当につたないものを…」ってお返事して。こういうご贔屓にしてくださる方々に対して、僕はそれに応える責任があります。
昨日よりも今日、今日よりも明日と、毎日少しでも磨いて、お客様のおかげで育てていただきました。これは決して綺麗ごとでななくて、お客様がいてくださるから仕事として成立して、ご飯が食べていけるんです。食べられなくなって辞めずにこれたのもお客様のおかげですし、作品に恵まれたという以外にありません。
天守物語の初演まで、舞台では現代劇もたくさんさせていただきましたが、映像でのメインは時代劇でした。TBSの『忠臣蔵』とか、黒澤明監督の『乱』など。もちろんオーディションです。
で、オーディションを受けに行くと、時代劇はなぜか通るんです(笑)。TBSも、フジテレビも、映画も。東宝でやった『姉妹坂』という映画があるのですが、それが唯一通った現代劇。僕の持っている雰囲気というか、何でしょうね。
今にして思うと、子どもの頃からやっていた邦楽のリズムが身体にあって、ちょっとした身のこなしとか台詞まわしが、「この子なら時代劇に使えるんじゃないか」ということで関係者は思われたのかな、と。
実はもともとは、うちの母がひがし茶屋街で41年間、芸妓をしていました。
ですから幼い頃から清元、長唄を聴いて育ってきたんです。踊りの稽古もしていますし、子どもの頃から母に連れられて歌舞伎、新派、あるいは文楽を見に行っていたので、邦楽のリズムも、身体はこうすればこう動くというようなことも、自然に理解していたのかもしれません。
時代劇のオーディションで採用されるというのは、審査するプロの目から見た時に、僕は違和感がなかったのかもしれませんね。たとえば若侍の仕草にしろ、どちらの足を引けば綺麗に見えるかを知っていると知らないのでは違いますから。
邦楽って、右足が出たら右手も出るというナンバ式なんです。僕らの日常って、洋式で逆でしょう。現代人の普通の動き方は洋楽なんです。
そのあたり、実は普通の人って、あまりご存知ないかもしれません。邦楽の舞台で西洋式の動きでやるとどうなるか。想像してみてください。
舞台に正面を向いて立っている演者が、客席側から見て右(上手)に移動する時に、左手が出て上半身が客席側に向く。でも右足が前に出る。この瞬間、身体の中心線がねじれて、裾が割れて見えるんです。この時に立ち姿を綺麗に見せるためには、足を逆、つまり左手と同じように、左足が前に出ていないといけない。これは古典で、すべて決まっていることなんです。これは頭で覚えるんじゃなくて、稽古して身体が勝手に動くくらい覚えさせます。100回でも200回でもやられと言われるんですよね。
このような邦楽の所作をご存じのお客様や、そうでない方もいらっしゃる。でも、別に知らなくてもいいんです。
プロの方に素晴らしいと言っていただくより、お客様に小一時間でも、「楽しかった」「面白かった」「来て良かった」と思ってくだされば僕にとっては成功です。そして次回も来ようを思って頂かないと、僕たちはご飯にありつけません。皆さんが生きている中で、時間を割いてきてくださっている訳ですからね。土地によってお客様の反応が違うのも面白いですよ。笑いが出る街、出にくい街。だけど僕たちは見世物と思っていますので、その時間を楽しく過ごしてくだされば成功です。
実は、昔はいろんな作品を朗読でやっていたことがありました。
勉強のためにいろんな朗読会にも参加したのですが、楽しいと思ったことがなかったんです。
そこで思ったのは、自分が面白くなければ、聞いてる人はもっと面白くないということ。
それで人に相談したり、試行錯誤する中で、座ってやるんじゃなくて、立って、動こう、となったんです。目を閉じて聞くのではなく、目を開けて演じ手を見ながら楽しんでいただく。
だから僕は、今のスタイルを朗読と言わずに「ひとり語り」と言ってるんですね。僕の語りを聞いて頂くということは、ひとつの芝居を見て頂くことだと思って演じています。
朗読って、淡々と読むことで、聞き手はいろんな解釈で聞くことができます。
つまり想像力で楽しむわけですよね。
しかし僕の場合は、動きをつけることで、芝居のひとつの解釈を見ていただくことになります。ある意味で、僕の解釈をお客様に押しつけることになりますよね?だからこそ、作品を読み込んで読み込んで、そして専門家に聞く。そして解釈をしていくんです。
ありがたいことに、ここ金沢では泉鏡花記念館が近くにあります。
館長さんも三代目。菅野先生、青山先生、秋山先生、こんな素晴らしい研究者の方々に可愛がっていただきました。
僕が「先生、この台詞ってどんな心情、情景でしょう?」と聞きに行くわけです。そうすると「そこはこうだよ。こういう意味で鏡花は書いてるんだと思う」と返してくださる。僕が解釈を間違えたら、自分の演技が間違っていきます。そうならないために、恥も外聞もなく専門家に聞くんです。そして台本に書き落としていく。朱を入れていって、台詞を編み込んでいくんです。
台本を読んでいて、未だに気付きがあります。特に間合いですね。
たとえば富姫が図書之介を口説くシーンがあります。
「貴方お帰りなさいますな」という富姫の台詞の後に、台本ではすぐに「迷いました、姫君。殿に金鉄の我が心も…」と図書之介が続けます。実は富姫の台詞のあとの間が大切なんです。
間をどう開けるか。ここに気づいたのは300回目くらいの公演の時です。
ここはもっと溜めて、振り絞るんだ、とか。
そして間合いがあるということは、その前後の台詞って、こういう感情なんだな、とか。
意味というよりも気持ちの運びがわかってくるというんでしょうかね。
こういう感覚は100回ではわからないんですよね…。計算ではなく、気持ちがどれだけ入っていくかだと思うんです。
いろいろお話しましたけれど、僕を芝居をじっと見てくださってもいいし、目を閉じて台詞を聞いてくださってももちろん結構です。
お客様の楽しみ方も十人十色。お芝居の一場面がご自身の人生の場面に重なることもあるでしょうし、リズムを楽しんでいただくこともあるでしょう。
とにかく、いただいた皆さまの貴重なお時間にお応えできるように、これからも努めていきます。
Shintaro.mediaより
いかがでしたでしょうか。野上裕章さんのひとり語りはすごく不思議で、泉鏡花作品でも文語体で読みづらいものも、野上さんが語ると何故がスッとお話がわかると言われます。目を閉じても、お芝居を観ながらでも、きっと「日本語の美しさとリズム」は、きっとお楽しみいただけると思います。