1970年 神奈川県生まれ。
1988年 信楽焼神山清子先生、神山賢一先生に師事。
1996年 北海道剣淵町に自宅兼工房を築窯、独立。
2002年 旭川市に移住。
2003年 黄粉引平片口鉢が栗原はるみ大賞受賞。
神奈川県出身の僕にとって、北海道の気候は「日本とは違う!」レベルです。
何度も痛い目に遭って、冬は当たり前に水が凍るということを憶えました。
水が凍って膨張し便器が割れる、給湯器が壊れるなんていう失敗、何度やったことか。
個展で2週間ほど留守にしたときに、凍らないように少しずつ水を出したままにしてみたところ、排水管の方が凍ってしまい、出続けた水がスケートリンクのように作業場を覆ってしまった……なんて事件もありました(笑)。
制作途中の作品も、土の水分が凍ると、室温が上がったとたんに土がぐしゃりと崩れてダメになってしまう。
焼き物をする環境としては決して恵まれているとは言えない場所かもしれませんが、その分、創意工夫によって僕にしかできない焼き物づくりを楽しめるというのも、北海道の魅力だと感じています。
何かをつくろうとするときに、道具がそろっていないとできないというのは、僕はちょっと違うんじゃないかと思うんです。たとえそこが無人島であっても、自分なりに道具や材料を探し出して、「つくりたい衝動をカタチにすること」こそ、本当の創造なんじゃないかな。
だから僕は、すでに用意された材料や他の誰かが確立した方法、文化的な裏打ちなどがなくても、「今、自分のまわりにあるものを使って、つくりたい気持ちを表現すること」に、何よりこだわりたいと思っています。
それが、自分が北海道にいる“理由”になるし、過酷な環境で創作を続けるモチベーションにもなりますから。
自分のまわりのものを使った創作――僕にとってはそれが、北海道ならではの素材ということになりますが、そんな思いから生まれた器の一つが、白樺の木を釉薬として使った「白樺ホワイトや白樺刷毛目」です。
白樺を釉薬に使うことを思いついたのは、まったくの偶然。近所の小学校の白樺の木を切り倒して処分することになったので、それをもらって帰って薪ストーブの燃料にしたんです。残った灰を見て「釉薬に使えるかも」とふと思って。試してみると、土の色を素直に引き出す、きれいな透明の色が出たんです。
北国ならではの白樺のイメージそのものでありながら、白樺自体が素材に入っている、とてもいい器になりました。たとえ、同じものを南国の陶芸家さんがつくっても、モノに込められた意味が違ってきますよね。
北海道で生まれたからこそ、器自体が表現するイメージや伝える意味に深みがある、ということで僕自身とても気に入っています。もう一つ、白樺の釉薬を使った作品に「緑粉引」があります。
黄粉引や白樺シリーズの差し色になるような、きれいな緑色の器をつくりたいとずっと思っていたんです。でも僕が使っている粘土には鉄がたくさん含まれているので、単に緑の釉薬をかけるだけでは、きれいな緑色にならないんですよね。鉄を含まない土をよそで買って来れば理想の緑色になるし、誰かが編み出した手法をなぞれば再現できるかもしれない。でも、それだと僕が北海道でつくる意味がない。
ですから、いつも使っている北海道の土で、自分なりの方法で緑色の器をつくりたいと思い、長年取り組んでいました。
いろいろ試行錯誤を重ねる中で、釉薬を緑色にするのではなく、下地の色をきれいに引き出してくれる白樺の釉薬を使うことを思いついたんです。粘土の上に酸化銅を加えた泥を塗り、その上にたっぷりと白樺の釉薬をかけて焼くと、釉薬が泥に含まれた銅の成分を吸って、きれいな緑色になったんですよね。
どことなく和の趣でありながら、重すぎる色味ではなく、普段づかいの器としても使いやすい……理想的な緑色。仕上がりは緑色ですが、手法としては粉引なので「緑粉引」と名づけました。
とはいえ、僕は計画的にものをつくるタイプではないので、計算しながら方法を編み出したというよりも、どちらかというと「生まれてくるのを待っていた」という感じですね。だから、自分が作り出したという感覚ではなく、火と、土と、釉薬の力に「調合してもらって生まれた」という感じですよ。
歴史的に見て、北海道は近年まで茶の湯文化が到達しなかった場所。だからこそ、北海道の焼き物として確立されているものがないわけです。
そういった環境ならではのおもしろみを感じながら、「北海道でしかできないもの、自分にしかできないこと」を考え続けていきたいな、と思っています。
Shintaro.mediaより
作家さんの人となり「工藤和彦さん Vol.4」です。個展の最中に、あふれた水でスケートリンクになったいたというお話、失礼ながら聞きながら大笑いしてしまいました。
だって、工藤さんも“こんな面白いことがあったんですよ!”って感じに話してくださるものですから、つい…。北海道を選んだというよりも、導かれてきたという工藤さん。どんな厳しい境遇でもいっさい不満を言わず、すべてを前向きに変えていくそのエネルギーは、大地の力のようです。
そんな手から生まれる器は、「生まれてくるのを待っていた」と。その一言に、工藤さんのものの考え方、人柄がよく表れていると感じました。
工藤さんの器、あったかいです。