Shintaro.media
工藤和彦さんVol.3
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自分で作ったモノを人にあげることの喜び。それが、自分の原点になっていると思います。

工藤和彦さん

黄粉引、粉引

1970年 神奈川県生まれ。
1988年 信楽焼神山清子先生、神山賢一先生に師事。
1996年 北海道剣淵町に自宅兼工房を築窯、独立。
2002年 旭川市に移住。
2003年 黄粉引平片口鉢が栗原はるみ大賞受賞。


最初は「失敗作」だと思った黄粉引。
とあるご縁で、日の目を見ることに……。

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今焼き物に使っている土は、道内の材料をいろいろ混ぜて調合したもの。

同じ土地でも掘る場所によって粘土が違うんです。地図を升目で区切って、それぞれの土を掘って焼いて確かめるという地道な作業で土の特性を探ってきました。

黄粉引も、そんな土を使ったでたらめの調合から生まれたんですが、実は、最初見たときは「あ、失敗作だ」と思いました。

今よりも完成度はずっと低かったですし。でも、たまたま蕎麦猪口の蒐集家である佐藤禎三さんという方の目に留まって、「これ、ええやないか」って言っていただいて。

それで土の調合具合などを本気で研究し始めたんです。解明するのに1年はかかってしまいましたけど…。

佐藤禎三さんは現在81歳ですが、今でもお付き合いがあり、応援してくださっているんですが、“これだ”、と思ったところの目の付けどころはすごいなぁと、今でも思いますよ。

当時まったくの新人だった僕の作品を見て、わざわざ大阪から北海道の作業場を訪ねてくださったんですから。


開拓者の土地、北海道。
深い懐をもった場所だからこそ、生み出せるモノ。


普通「粉引」というと、白い器のことを指します。

だから、「『黄粉引』と名付けてみたら?」と器屋さんから言われたとき、ちょっと躊躇したんです。

邪道じゃないかなって。でも案外的を射ていたみたいで、いろいろなところで評価されるようになったんですね。

実際、益子で栗原はるみさんをお招きして開催された焼き物コンテストでは、なんと黄粉引が大賞に選ばれてしまって。益子で開催されるからには、当然、益子焼きが選ばれるだろうと思っていたんですけど……。

それから10年経って、いろいろな作家さんが黄粉引をつくられるようになりました。

それはそれで面白いなと思っているんです。

北海道は、縄文から続く土器を作る文化が鎌倉中期まではあったのですが、その後のアイヌ文化の時代に土器は廃れていくんです。日本の陶芸史から見ると、本州で広がった「茶の湯文化」が北海道に影響を及ぼすことはなかったようです。

言い換えれば、北海道という土地での焼き物は、その新たな価値を「自分で創っていける」場所だということなんじゃないかと思ったんです。

例えば信楽焼をやろうと思えば、信楽焼とはこういうものだという概念がすでに確立されているので、それ以上のモノはないということになるわけです。

一方、北海道だと、自分で北海道の陶芸文化を創っていく楽しみがあるっていうことなんです。

いろいろ考えたんですが、結局自分は、世界に名をとどろかせる陶芸家になるために焼き物をするのではなく――“なぜモノをつくるのか”を考えたいだけなのかもしれません。

僕という人間が、北海道という環境にいて、そこにあるモノからでしか生まれない器を生み出すということ。

それが僕にとって一番大事なことなんだと思っています。

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Shintaro.mediaより

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今回は神楽坂のギャラリーでお話をしました。

“ものを作る”ということを真剣に考えておられて、常に家族に背中を見せて仕事をしている…けれども、家族のアドバイスは何よりの発見である、という工藤さん。

そんな人柄に惹かれたお客さまが、遠いところからたくさんお越しくださっていました。

陶芸家とお客様、という関係よりも前に、工藤さんとお友達、というほうがいいかもしれません。

工藤さんの人となりは、器に現れていると思いませんか?