コシノジュンコ(以下コシノ) 私たちの出会いは、6、7年前ですよね。フランス大使館。フランスはイベントに積極的で、ワインの会などによく招待されるのだけど、あの時はKRUGのChampagneのお披露目会だったのね。
そこで慎太郎を初めて見かけて、なんか今までフランス大使館では出会ったことのない人がいる!と思って声をかけたのよね。ユニークな人は山ほど知っているけど、慎太郎は本格的にきれいにしていて、凄く目立つじゃないですか。ちょっと話をしただけでなんか気が合っちゃって、ね。
矢部慎太郎(以下慎太郎) そうなんですよ。
コシノ ね?もう10分ほどお話しただけなのに。
慎太郎 「あなたマダム・バタフライみたいね」って言ってくださって。これがジュンコ先生からの最初の一言です。ナンパしていただきました。
コシノ ほんとナンパしたような感じ。で、さっそく(サロン・ド 慎太郎に)行ったよね。行かないとわかんないもんね。慎太郎っていう人がどこから来た人か。
慎太郎 その前に西川の洋ちゃんさんが、「ジュンコさんとご飯行きましょ、紹介してあげる」って言ってくださっていた矢先だったんです。そしたら会っちゃって。あ〜!ジュンコセンセ〜って。
コシノ そうそう。金子國義にしても、洋ちゃんにしても、私たちはそれぞれつながっていて、別々で会っていくのよね。
慎太郎 そうなの、そうなのよ。不思議〜。
コシノ そういうのは相性が合うというのが裏にあって、目に見えないだけ。気が付いたら目の前にいた!って。そういうことなんじゃない?
慎太郎 ま、嬉しい。
コシノ お互いにいつもお洒落をしてるから、じゃ私も頑張んなきゃって。そういう競い合いっていいよね。
慎太郎 みんなお洒落ですもんね〜
コシノ (ホームページの慎太郎写真を見て)わ、きれい!すっごい綺麗ね。眉毛がない方が色っぽいわ。ちょっとやってみたら?
慎太郎 怖いわ!先生。仕事中、怖くなっちゃうじゃないですか。
コシノ 私、この写真、凄く好きよ!やっぱり色っぽくていいわ〜。
慎太郎 公式写真みたいなの、これ1枚だけなんですよ。
コシノ でも、これ凄い。今はもう世の中にいないけど、大正時代にこんな人いたよね、っていう感じ。いや、ほんと綺麗!慎太郎さんは誰か憧れている人がいるの?
慎太郎 誰ってことはないんですけど、時代ですよね。大正のモガとかモボの時代や、あと思いっきり江戸時代とか。今日のこれなら小袖風だから江戸のまだ前でしょう?
コシノ 小袖っていうのは粋なものなのよね。江戸の前は、公家と庶民はまったく別個の世界で、着る物によって差別化されてた。でもそういう十二単を着て、動けないくらいたくさん着飾って、というのから、どんどん脱いで開放されて、最初の下着、つまり襦袢なのね、小袖って。そうやって庶民の間で小袖が一般的になって、宗達や光悦とか淋派の人たちが現れて、小袖が絵の世界になったわけ。だからもの凄い数が残ってるのよ。
慎太郎 淋派って、100年や200年に一回とか来るんですよね。先生は、これからどういう淋派活動を?
コシノ 淋派活動っていうか、いろんな分野でできるから、もうライフスタイルよね。淋派の感性。きれいに正しく作るんじゃなくて、何ていうのかな…気持ちを込めるけど、抜くっていうか。
慎太郎 遊び心がありますよね。
コシノ 遊び心がありながら、完成度が高くて、ふっと抜く。この日本の美って、理屈じゃないのよね。伊藤 若冲もそうよね。過去に凄い人がいて、それが過去の人ではなくて、永遠に日本の文化として残っていく。その途中なのよね、私たちは。今の時代の淋派なのよ。
慎太郎 この前先生にお話したシガー灰皿も淋派なんですよ。あれも金で。
コシノ 金を使ってね。それもひとつ入れたらいいわね。2015年で琳派は400年なのよね。その時までにだんだん広めようって。今の人はわからないから、生活の中にいろいろ出てくると、序助に意識してくるんじゃないかな。
コシノ ところで、何で金子國義を知ってたの?
慎太郎 それがね、大阪から銀座へ出てきてまだ間もない頃のことなんです。たまたまウチのお店の裏のバーで出会ったんですよ。で、はじめは大げんかっていうか、そんなに仲良しじゃなかったのに、すっごく怒られて。
コシノ なんで怒られたの?
慎太郎 たまたま先生とお電話をしていて、エレベーターに乗ってしまったので、「電話切れるかもしれません」って言ったの。
そしたらやっぱり切れちゃって。私のお店が忙しかったので、またあとで電話しようって思ってたんです。そしたら、少ししてからそのバーに呼ばれて。1時くらいだったと思います。ウチに来てくれるのかしら、とお迎えのつもりでそのバーに行ったんですよ。そしたらそんな雰囲気じゃないわけ。
ほかのママとか、新橋の芸者さん達がいてね、みんな腕組んで待ってるわけ。そんな人達が、「もう先生許してあげてよ」とか言ってるのよ。
何のことか全然わかんなくて。わかんないまま、えらい叱られて。私も大阪から来た新参者で、東京の人から血祭り状態。
みんなが「先生、もう許してあげてもいいんじゃない?」と言いながら、先生を焚きつけるみたいな感じで。
先生もノッちゃって「あなたは冷たいわ!」って。エレベーターで電話が切れたとき、すぐに電話しなかったことがいけなかったみたい。
コシノ あの人は、まわりかまわず言ってしまうのよ。
慎太郎 さんざん叱られた挙げ句、その後は、「好きです!」って言いながらお互い抱き合って、ね。なんか私も魂抜けちゃって。自分のお店は満席で超忙しかったんだけど、もうまともに立てないくらいフラフラになっちゃって。従業員に電話して、「今日はごめん、帰して」って。
コシノ 可愛そうに、こんなに若いのに。
慎太郎 それがあって、金子先生もなんだか好きになってくださって。それからずっと好きなんです。だから何があっても、一切問題なしなんです。
コシノ ユニーク。うん、個性的よ。
慎太郎 そうなんですよ。勘三郎さんともそのバーで会うんですよ。文壇バーのアイリーン・アドラーってバー。
コシノ 勘三郎さんとネコ(金子國義=かネコくによし)はそこで会ったの?だからあれが出来たのね。襲名の。(故・中村勘三郎さん襲名時、口上の舞台美術のことです)
慎太郎 そう、そうなの!勘三郎さんと海老蔵君が、そのアイリーン・アドラーっていう路地裏の店にたまたま入ったんだって。
コシノ あ、そうなの?
慎太郎 勘三郎さんが、いい店はこういう路地裏にあるんだって海老蔵君に言ってね。バーンって入ったんだって。そしたらそのバーのお母さんもイケイケだったから、ウチは高いよ!一人100万円!とか言って。でもチューしたら入れてあげるとか言ってたみたい。みんなどこかでつながってひとつ、みたいなね。
慎太郎 私は先生にいろんな昔話を伺いたくて。それがもう楽しくて楽しくて。
コシノ 昔話っていうより、日本の一番いい出発点の時ですよね。
私はビートルズを境界線にして、日本のインターナショナルが始まったと思うの。それまで外国人って知らなかったから、音楽とか映画とか、外国のものに触れる最初でしょ。
オリンピックが初めて日本にきて、少しあとにビートルズが日本に来たんだもんね。四人揃ってね。そのあたりから、日本の何か面白い職業、文化など、それまでバラバラに動いてたものが、ひとまとめになったような感じ。
日本独特のものを創り出すような…。私はファッションだから、当然外国、パリ。ニューヨークでもなく、ロンドンでもなく、パリなのよね。で、パリは何?っていうと、オートクチュールでしょ。オートクチュールって貴族の世界じゃないですか。セレブ、トップの人たちがお客さまでしょ。電車も乗ったことないような人ばっかり。そういう人たちを相手にしてね。
慎太郎 そうなんだ。
コシノ 初めてフランスに行ったとき、自分の思っているパリじゃなかったのよ。
最初に着いたのが北駅だったのね。ベルギーから入って。そんときはね、「なんだここ、上野じゃないの?」って思った。綺麗な格好の人もどうしようもない人も一緒なのよ。
もちろん、パリの真ん中はやっぱり違うんだけどね。あとね、フランス人は全員がファッションのセンスがいいわけじゃないって思った。一部のモードの関係者は神経質だけどね。
でも日常にセンスがあるの。それは何かっていうとね、八百屋さんに例えると、果物の並べ方のセンスがいいのよ。アートね、す〜ごいの。それが歴史とか伝統かもしれない。
日本の八百屋さんを思い出してみて。道の真ん中まで商品を段ボールのままバ〜っと出してさ。そんなのパリのどこにもないわ。
もう果物や野菜をピッカピカに磨いて、色分けして、きれいに積んであって。一個買ったら悪いんじゃない?って思うくらい美しいのよ。それがパリだと思うの。
歩いている人を見ても、あまり格好つけない、さりげないのがモードなのよ。それがパリ、こだわりっていうのかな。自分を持ってる人。日本人って自分を持ってる人が少ないのよね。
慎太郎 岸和田は日本じゃなかったのね。
コシノ 大阪のど真ん中に生まれてたら、それはそれで満足してたかもね。
でも私は岸和田っていう地方に生まれてるから、はみ出たわけ。東京に対抗して「私たちも!」って。大阪までは電車で行けるけど、東京までは遠い。
思い切って、東京か外国なの。今は外国が普通だけど、当時は東京だったわ。いっそのこと東京飛ばして外国へ、っていう人もいる。
だからね、外国で会う人って、意外と和歌山の人とか、都会の人じゃないの。どっか地方のね、そういう人がちょっと背伸びして、やっと到達した!というギャップがあるからいいんじゃないかな。
慎太郎 なるほどね。関西人は元気なのね。
コシノ もともと関西は元気なはずなのに、最近は大阪行くと元気そうに見えない時がある。大阪をもっと元気にしてとかよく言われるけど、大阪の人たちはどうなちゃったの?って思うの。
慎太郎 でも先生に元気にしてって言われてもね。先生が頑張ってくださったとしても、やっぱり元気になる気じゃないと。
コシノ みんなで元気になりましょ!って言って元気にならないから、一人の元気が二人になって、二人が四人になればいいことだから。影響し合えばいいのよ。
みんなでなりましょって言ったってならないわよね。違う?一人でも元気な人がいたらね。で、誰が元気かっていうと、やっぱり吉本なのよね。影響力は。うちのお母ちゃんなんか、吉本のアナ・トークとかいう学校に入って。
慎太郎 えっ!?
コシノ 岸和田弁が恥ずかしくて、きれいな大阪弁に憧れてたの。
で、毎週土曜日に吉本に。88歳くらいの時、いい歳よ。それで絶対休まないの。
ある時、お母ちゃんが土曜日に東京にいてね、「今日絶対に帰らないと」って言うの。何しに帰るの?って聞いたら、学校があるからって。
若くもないんだから一回くらい休んだっていいじゃない、今さら勉強したって…って思うでしょ。とんでもない。
「自分は100まで生きるつもりだから、これからよ!」って。人生これからって、ね。それでおかしいのはね、明日日曜日だし、休めばいいのにって言ったら、「アカン!絶対に行く」って。1回や2回休んだって大したことないんだからって思ったら、「ワタシが行かんかったら、みんなのためにならへんの!」って。えっ、それで行ってんの?って聞いたら、「当たり前やないの!」って。元気づけに行ってるつもりなのよね。
えらいよね。私、あれは感心したわ。私だったら休むかなと思ったけど。
慎太郎 ところで、先生のブティックにビヨンセも買いに来るんだよね。
コシノ ビヨンセもそうなんだけど、私ね、もともとダイアナ・ロスが好きなの。
シュープリームズの時代から狂っちゃって。それがネコ(金子國義)との音楽の関わりかもね。
で、ダイアナ・ロスの関わりの話をしようか?凄い面白いの。
もう亡くなったんだけど、須賀 勇介さんっていうヘアデザイナーがニューヨークにいたのね。ジャクリーン・ケネディとかのスタイリストをやってて、徹子さんともすごく仲がよくってね。上手なのよ。だからおばさまの凄いのがいっぱい来るわけよ。わかるでしょ、きれいだし、格好いいし。
で、私がニューヨークの須賀ちゃんの店でヘアをやってもらっている時にね。「ジュンちゃん、ダイアナ・ロスは大好きでしょ?ここに来るのよ」って言うのね。いいわね、私の最高の憧れの人よって言ったわ。「じゃ今度ダイアナ・ロスが来たら、日本に行くことがあったら、ジュンちゃんのところに行くように言っとくわ」って。口が上手だから、こちらも軽くお願いねって言ってたのね。
そしたら!なんと!本当に来たの。ダイアナ・ロスがベントレーに乗って私のブティックに。
その日は私が自分のファッションショーで留守をしていたの。たまたま安井かずみさんがお店に来てて、英語もできるし、かずみさんが「これからジュンコのショーを見に行くんだけど一緒に行かない?」って誘ってくれたのね。
それじゃ「行きたい」ってことになって、かずみさんがそのベントレーに同乗して、来てくれることになったの。電話でね、「たいへん!これからダイアナ・ロスが来ることになったから!」って。私もびっくりしちゃったんだけど、咄嗟に、音楽は全部ダイアナ・ロスにするわ!って、マーヴィン・ゲイとダイアナ・ロスの「You Are My Everything」に変えたのよ。
慎太郎 えっ!?
コシノ 当時はレコードだったから、レコードの溝になんとかうまく調整したりして、ショーをやったのよ。それでショーの後にダイアナ・ロスが楽屋に来て、「全部欲しい!」ってなったの。私もね、ケチってわけじゃないんだけど、全部あげてしまったら商売できないかなって思っちゃったのよ。時間かけて作ってるじゃない?でも靴もちょうどだし、じゃ、三分の一だけねって選んでね。
慎太郎 すご〜い。
コシノ でね、ダイアナ・ロスは厚生年金ホールでコンサートだったんだけど、選んだ衣装を楽屋に届けた時、「ショーを見るでしょ?」って言われてね。でも切符なんか絶対に無いはずだし、そしたら「大丈夫、見るでしょ?」って聞くから、もちろん見たいって言ったの。
慎太郎 それはそうですよね。
コシノ 楽屋ではね、今から着る洋服が全部吊ってあるの。その中のひとつに、私知ってる!というのがあったの。
ニューヨークにアストリアルホテルっていうのがあって、たまたまそのホテルの前を通ったら、入り口に”ダイアナ・ロス”って書いてあってね。ほんとかな?と思ってホテルに入って行ったの。
切符を買えるか見に行こうと入ったら、地下で、食事をする小さな場所。
まだ入れるって言うから、切符を買ってね。5、60人の場所で、すっごい小さいステージで。屏風を立てて着替えをして。ほんとに素朴なディナーショーだった。そのワンマンショーをやった時に着てた、ショッキングピンクでスパンコールの衣装があったの。
そのことを彼女に言ったら、「何で知ってるの?あれ見た人はめったにいないわ」って。それで盛り上がって、そのあと、彼女のショーを見ることになるんだけど、どこで見たと思う?
慎太郎 え、どこ?
コシノ どこに座るのかな、と思ったら、ステージの上に椅子を置いたの。で、もう一脚置いてあるから、誰が座るのかなと思ってたら、ディオンヌ・ワーウィックだったの。で、私のことを”友だち”って紹介してくれて。ディオンヌは友だちだろうけど、私も友だちだって…。
慎太郎 信じられない!今からショーをするステージの上で、でしょ?
コシノ そうそう。彼女との話は、もう一つあるの。
その2年後のことね。私がパリコレをやるって言う年に、ダイアナ・ロスが武道館に来たの。
私は楽屋に行って、シャツのおみやげを持っていってあげたのね。そしたら一番前のいい席をとってくれて。それで最後のアンコールの時になったんだけど、なかなか彼女が出てこなかったのね。
私は次の予定があったし、まぁさっき楽屋で会ったしいいか、と思って帰ろうとしてパッと席を立って5、6歩進んだところで会場がワ〜ッ!と盛り上がって、彼女が出てきたのね。振り向いたら、なんと!さっきプレゼントしたシャツを着てステージにいたの!
帰んなくてよかった〜、って思ったんだけど、私が立ったせいで目立っちゃって、「ジュンコ、カモ〜ン」ってステージの上から呼ばれて。
あ、まずい、見られたと思ってね。しょうがないから階段からステージにあがったら、「このシャツどうやって着るの?」だって。それでちょっとやってあげたら、「いまからジュンココシノ ファッションショー」って。モデルウォークしながらね。
感動しちゃったわ。やっぱりエンターテナーって凄いのね。金子國義もそう。エンターテナーなの。
慎太郎 そうそう、周りにあるものでね。
コシノ どんな場所でも、そこにあるものを使ってね。わざわざ用意してくるものではないのよね。
慎太郎 ペンがあったらギュ〜ってアイライン書いて、足に網タイツを書いてましたから。
コシノ もうどれほどやったか。何でもいいのね。テーブルクロスがあったら、タ〜ッと取って。それと同じね。エンターテナーと言っても誰でもできないわよね。センスよね。パッとその時のひらめきのセンス。それがダイアナ・ロスの場合は私が対象だったのよ。おかしいよね。
慎太郎 おかしいっていうか、凄いですよ、ジュンコ先生のつながりも。金子先生も、今でも何かあったら、ジュンコ先生のことをおっしゃいますよ。大好きなんですよ。運命ですよ。
コシノ 今度さ、私のことも、こういう風にインタビューして喋ってよ。面白そう。
慎太郎 もちろん喜んでお話しさせてください。
初めて会ったのは、6年前って言ったよね。
彼女は20代じゃない?ビシッとキメてて、綺麗で、ご丁寧で、すごい気遣いがあって、こんなマルチにできる人がよくいるわねって思ったの。
私は、若いとか年齢とかは気にしないんだけど、えっ!そんな若かったの?っていうのが第一印象。
それでサロン・ド 慎太郎に行って、いっぱいスタッフがいて、これ何人使ってんの?こんな人世の中にいるの?と思ったのよ。
この人は凄い経営者ですよね。でも経営者のイメージがギンギン出てこなくて、それで経営してる。
とても感覚的だと思うんですよ。適当にってことではなくて、そんなに頑張って大丈夫?という、あの張りつめるいつもの気遣いが凄い。
あの緊張感が格好いいのよね。例えばウチでパーティしてるからおいでって言うと、フットワーク軽く来るでしょ。
それでいて姿勢はいつも一緒なの。慎太郎のお店と、ここ(ブティック)へ来てもそんなに変わらない。だから生活の中で、ピシッと整えられてんのかなって思いますね。
ある時ね、上野の国立博物館に行ったんですよ。私は舞台衣装とかやるので、甲冑などを見てたのね。そしたら屏風の前で、すごくじっくり見ている人がいてね。
熱心に見る人がいるんだなって少し気になって、横からチラッと見たら慎太郎だったの。いつもの髪型じゃなく、髪を後ろでひとつに括って、ジーンズで。
とにかく、たった一人で絵を見てたのよ。素の慎太郎に会っちゃったのね。「恥ずかしいわぁ」なんて言ってたけど、ちゃんと美術に興味があって、一人で見に行ってお勉強してるっていうのが偉いと思って。
偶然会ったんだけど、隠れてる裏側をちょっと見てしまった感じです。
(サロン・ド 慎太郎の)ダイアナにも、そういうところがあるよね。ギャ〜とか言ってるけど、知性の部分が素晴らしいですよね。映画とか、詳しいじゃない。マネできない。あの人たちは凄いお勉強してるなって。
慎太郎さんは、和のものにきちんとしてるわよね。前向きよね。京都にもよく行ってるみたいだけど、京都を知るというのは和を知る元かもしれないわね。
あのシガー灰皿もそうよね。ハイアットリージェンシーにも入ったし、ぴったりだと思うのよ。凄いお似合いと思う。
あとね、あの人はいつも人に感謝してるでしょ。あの若さで「ありがとう」って発想は普通ないよね。
一人ひとりにありがとうって、ものすごくお歳を召した方が思いつくことじゃない?それまでは自分のことばっかりで。
ありがとうっていうのは相手を思ってのことだから、なかなかそんなのできないでしょ?私も今から真似て「ありがとう」って言わなきゃ。
私、まだ誰にも言ってないわ。
この内容って慎太郎のホームページにのるの?私が一番最初?ほんとに!?すっごいありがたいわ。
慎太郎に「ありがとう」って言わなきゃ。いやぁ、ほんとにありがとうだわ。また第二弾とかやりましょうよ。
profile
大阪府岸和田市出身で、皆さまご存知のファッションデザイナー。ご自身のブランドだけではなく、スポーツ、演劇の衣装デザインや舞台演出、文化事業など、国内外で活動中です。慎太郎とも公私の境なく懇意にしていただいていて、いつも本当にありがとうございます。インタビューは2012年の8月だったので、衣装などは季節感がなくてごめんなさい。